石川、富山辺りの着物(和服)への思い入れ 母から娘への愛情の様子を着物が一番良く表しています。 少し前までは 石川、富山の婚礼支度は 娘への着物を揃える事が条件でした。

二十歳の成人式の振袖準備は高校卒業辺りから 呉服屋さんが娘さんの住む家に注文を取りに走ります。

先ず 振袖のお誂えをゲットした呉服店は 娘の婚礼のお仕度用の着物は、ほぼ得た事になり 福々顔の呉服屋さんとの付き合いが始まります。

「着物は徐々に用意しないと大変になりますよ」 とばかりに 何時、嫁ぐか解らない娘の為に 親、特に母親はがんばって着物を誂え始めます。 新しい衣装は母親にとっても大変嬉しいものなのです。 (女の欲望を上手く扱うのが呉服屋です)

時には 同居する祖母や、実家の祖母までも加わり大層賑やかで、嬉しいもののようです。

呉服屋さんにとっては 無理やり揃えさせるようとはせず 滞らない程度での距離を置いての付き合いがあり これが地域の呉服商の信用と信頼になっていました。

上手く、頃合いを見ながら 次、次と品揃えを進めていったもののようです。

当の娘さんが 何か地域でいろんな活動面で良い結果を出そうものなら 「これだけのお嬢様には これだけのお仕度が必要ですよ」 とばかりに寄ってきて あれよあれよ 呉服類の数が増て行ったのも事実でした。

それほど 呉服(着物)を誂える事に親達は娘に投資をしていました。  (地域として 家へ嫁ぐ風習があり 今日の新居の調度品を揃える必要がないので娘へ のみの投資が衣装、着物になったもの と思われます 日用品、工芸品なども揃えますが 着物類が圧倒的に多く揃えました)

そうやって 私をも含め50代後半から60代後半辺りの娘たちは 親が揃えてくれた着物をどっさり持って嫁ぎました。 親の不自由な時代 戦中、戦後当時は物が無く 華やかな物は着る事が許されず そして品不足でもありました。 その悲しい思いが 娘の婚礼準備 特に着物を揃える事に母親は躍起となり、不満解消ともなったのではないでしょうか。

嫁ぎ先でみじめな思いをさせたくない とばかりに こんな時はこれを着て 季節が変わればこれを着てと 夏用、冬用 と どんどん増えるのは着物ばかりです。

それも 多くは赤っぽくて若い時に着るような着物ばかりが揃っているのです。(後に着物でも着てみたいなと思う50歳辺りに差し掛かった頃 これ若すぎる!と友人共々笑う事がよくありました)

私達の親より少し前の年代の親達、戦前派の方々は 生涯着れるようにと ちょっぴり地味目のものを揃えたいたようにおもえます。  この時代の呉服屋さんの傾向だったのかもしれませんね。

着物を着てくれるであろうと親達が 揃えてくれた着物は  世の中の変動で女性も仕事中心の社会となり そして 活発に出歩く傾向となり 大事と揃えてくれた着物は箪笥の奥深くしまい込んでしまったのです。

そのような若い時に似合う着物はどうしたもんか と 友に尋ねると 「箪笥にあるよ!」 と どこもかしこも 同じ返事で 「今頃 着れないよね」など 勿体ない言葉を口に出しています。

特に 富山県は加賀(石川)への憧れが強い(越中は加賀の分家としての意識が強く加賀の本家に対しての引け目があり) 加賀の文化の多さ、優雅な生活にあこがれを抱き 加賀友禅の着物を持つことがステータスでもあり 友禅作家の着物を競って揃えました(呉服商の計らいで) 着物の数の揃え方は圧倒的に富山の人達が石川の人達より多く所有しています。 引け目を感じる地域の心理を上手く利用した呉服商の商いがここに存在しています。

今日 しつけ糸の付いた着物が どっさり安く売られたりしている光景を見ると 母親達の想いを知る私としては なんか悲しく、辛い気持ちになります。

これらの大事な着物を 何とかしたい、何とかしなければ と着物として生かすには難しのであれば 色々な方面でのリメイクをして もう一度復活することを考えました。

和服に利用されている生地は 今日では実に良い生地を使用しています。 組織や柄など長い伝統から生まれたものであり再現できない物も多くあり 貴重な産物でもあります。 これらの素材を大事に扱い残して行きたいものです。

着物への仕立て直しや 着物から洋服、ドレスへのリメイクをも考案していますが 思い出の着物をイテリア、小物などへのリメイクを望む人もいるだろう と 着物をお持ちの人達が何にしたいかに添う提案が一番よいのではないかと 新しいリメイク方法を展開したいと思っています。